目次
スマホを閉じたら、心が静かになった
ここに来てくれて、ありがとう。
この記事は、「気づいたらSNSを眺め続けて落ち込んでいた」──そんな少し前の“きみ”に向けて書いたんだ。
タイムラインを開くたびに、楽しそうな投稿や、キラキラした日常が流れてくる。
「なんで自分だけ、こんなに何もないんだろう」
「もっと頑張らなきゃ」
そうやって、比べるつもりなんてなくても、心はどんどんすり減っていった。
ぼくも、SNSに飲み込まれてしまっていた時期がある。
「休もう」と思っても、手が勝手にアプリを開いてしまう。
スクロールするほど、焦りや自己否定が増えていく。
でもある日、思い切って“スマホを閉じた”ら──
びっくりするくらい、心が静かになったんだ。
この記事では、ぼくがSNS断ちをしてみて気づいた
3つの大切な変化について話していこうと思う。
「つながらない自由」を、君にも感じてほしいから。
SNSを見すぎると起こる心の変化
情報過多・自己否定・焦燥感
SNSは、便利だし楽しい。
でも、長く触れているほど、じわじわと心を削ってくるものでもある。
ぼくが気づいたのは、
SNSを「なんとなく」見ているつもりが、
いつのまにか“自分を傷つけてる時間”になっていたということ。
1. 情報過多による「思考の渋滞」
たくさんの投稿、トレンド、誰かの意見、ニュース。
毎分、毎秒、自分には関係ない情報まで押し寄せてくる。
気づけば脳がパンパンで、
考える余白がなくなっていた。
まるで自分の考えがどこかへ押し出されるように。
2. 比較が生む「自己否定の罠」
SNSには、みんなの“いいところ”だけが並ぶ。
・充実した日常
・努力の成果
・人間関係の広さ
・趣味の投稿や、成功体験…
そんな世界を見ているうちに、
「何もない自分」が際立ってしまう。
「努力が足りないんじゃないか」
「もっと頑張らなきゃ」
そうやって、自分への圧が増えていく。
3. 焦燥感と“置いていかれる”感覚
特に苦しかったのが、**「取り残される感覚」**だった。
誰かが頑張っているのを見ると、
なぜか自分が遅れているように感じてしまう。
まるで、自分だけが成長できていないみたいに──
けれどそれは、“今ここ”から目をそらしてしまった状態だったんだ。
SNSは悪じゃない。
でも、「心のスペースを奪うもの」に変わってしまったら、
一度、距離を取ってみてもいいと思う。
ぼくがSNS断ちを決めた理由
「もう、限界かもしれない」
ある日、そんな感覚が心の中にぽつんと現れた。
SNSを見ていると、何かをしている「つもり」になれる。
誰かの投稿にリアクションして、情報を集めて、
充実しているような錯覚すら生まれてしまう。
でも実際のぼくは、
何も手につかなくなっていて、
やるべきことから目を逸らしていた。
一番つらかったのは、
「なにか始めよう」と思ってスマホを開いたのに、
1時間が過ぎていたことに気づいたとき。
罪悪感、自己嫌悪、無力感。
「こんなはずじゃなかった」って、何度も思った。
それでも、やめる勇気がなかった。
怖かったんだ。
つながりが消えてしまうことが。
流れに置いていかれることが。
だけど、ふとこんなことに気づいた。

ブレイブ(Brave)
「つながっていたはずなのに、なんでこんなに孤独なんだろう」
そこからだった。
「このままじゃ、自分が壊れてしまう」と思って、
ぼくはSNSを一度、離れることにした。
スマホの通知を切って、
アプリを削除して、
“静かさ”を取り戻す準備を始めた。
そしたら──
思っていたよりも、世界は静かで、あたたかかったんだ。
やってみて気づいた3つの変化
①「今ここ」に意識が戻った
SNSから距離を置いて、最初に感じたのは――
「目の前の時間」が、ちゃんと感じられるようになったということ。
朝起きて、外の空気を吸って、
お茶を淹れて、湯気の立ち上る様子をぼーっと眺める。
そんな何気ない時間に、静かな満足があった。
それまでは、
「何か見逃していないか」
「誰かの最新投稿を確認しなきゃ」
と、頭のどこかがずっとざわついていたんだ。
けれど今は、
スマホを見なくても心が落ち着いている。
「今この瞬間を生きている」って、ちゃんと感じられるようになった。
②「自分の価値」が安定した
SNSにいると、
「いいね」や「フォロワー数」が、自分の価値を決めてしまうことがある。
本当は、ただの数字なのに。
だけどSNS断ちをしてからは、
「誰かに見られていない自分」も、大事にできるようになった。
たとえ誰にも知られなくても、
小さな努力や優しさは、ぼく自身が知っている。
それだけで十分だと思えるようになったんだ。
「ぼくがぼくであること」に、自信が持てるようになった。
それはきっと、数字では測れない感覚だった。
③「人との距離感」が自然に整った
もうひとつ、大きな変化があった。
「誰かと無理につながろうとしなくなった」こと。
SNSでは、“関係を保つためのやりとり”が多かった。
でも、SNSから離れてみたら、
本当に大切な人との関係は、ちゃんと残った。
むしろ、無理のない距離感で、
心が落ち着く関係だけが残っていったんだ。
人と距離を取るのは、冷たいことじゃない。
自分を守るために必要なことなんだと思う。
完全断ちはしなくていい
ここまで読んで、
「でも、完全にSNSをやめるのは無理かも…」って思ったなら──
それでも、ぜんぜん大丈夫。
ぼくも、SNSを“永久に断つ”と決めたわけじゃなかった。
必要なときにはログインするし、
誰かの言葉に救われることもある。
大切なのは、
**「どれだけ使うか」ではなく「どう付き合うか」**だと思う。
🔸距離を置く=自分を守る選択
一時的に距離を置くことで、
心の回復や、自己感覚のリセットができる。
それだけでも、十分価値があるんだ。
たとえば:
- 朝と夜だけ見るルールを作る
- フォローする人を見直す
- 情報を選ぶようにする
そんなふうに、“小さな調整”からでも始められる。
🔸ぼくらは、繋がり方を選べる
SNSは「つながるツール」であって、
「つながり続けなければいけない義務」じゃない。
ときには“つながらない時間”も、
人とよりよく向き合うために必要なもの。
ぼくたちは、もっと自由でいい。
自分の心を守るための選択をしていい。
まとめ|“つながらない自由”も、大事にしていい
SNSから少し離れてみて、
ぼくはようやく、心の声が聞こえるようになった。
周りのペースに合わせすぎていたこと。
誰かの評価を、自分の価値だと思い込んでいたこと。
本当は、もう疲れていたこと。
でもね、
「つながらない時間」を持ってみたら──
**“自分とのつながり”**を取り戻せたんだ。
この世界は、たくさんの声であふれている。
だけど、自分の声は、静かな場所でしか聞こえない。
だから、つながりを手放すことを怖がらなくていい。
それは、君が弱いからじゃない。
自分を大切にする力があるからこそ、選べる自由なんだ。
「SNS断ち」は、心をひとつ深呼吸させるための、優しい選択。
もし今、比べてばかりでしんどいなら──
スマホを閉じて、そっと空を見上げてみよう。
きっと、君の中にある“静かな強さ”が、顔を出してくれる。