目次
「自分のこと、好きになれない」そんな君へ
「どうして自分はこうなんだろう」
「なんで、みんなみたいにできないんだろう」
そんなふうに、自分を責めてしまう夜が、ぼくにもあった。
何か失敗するたびに、
まるで“存在そのもの”がダメなんじゃないかって思ってしまう。
自分を好きになるなんて、
遠い夢みたいに感じていたんだ。
だけどあるとき、
「自己肯定感」って、“完璧な自分”を持つことじゃないって知った。
むしろ──
「できなくてもいい」って、そっと許せることだったんだ。
この先の話は、
あの頃のぼくと同じように、
「どうせ自分なんて」とつぶやきたくなる君に向けて書いた。
ここから、少しずつ一緒に紐解いていこう。
“自己肯定感”という、言葉の正体を──
自己肯定感って、結局なんなの?
自己肯定感って、よく聞く言葉だけど、
「それって、どういうこと?」って、実はちゃんと知らなかった。
なんとなく──
“自信満々な人”とか、
“ポジティブでキラキラしてる人”のことだと思ってた。
でも、それってたぶん、
ちょっと違ってたんだ。
「できる自分」を肯定することじゃない
たしかに、自信を持てることがあるのは素敵だ。
でも、それはあくまで「結果」にすぎない。
自己肯定感っていうのは、
うまくできたかどうか、ではなく──
“うまくできなくても、君は君でいい”と思える感覚のこと。
- ミスしても、存在価値は変わらない
- 比べなくても、自分のペースで進んでいい
- 誰かに褒められなくても、自分が自分を認められる
そんなふうに、「できる自分」じゃなくてもOKと思える心の土台。
「できない自分」も否定しないこと
ぼくらはどうしても、
失敗したときや落ち込んだとき、
“ダメな自分”を強く責めてしまう。
でも、そこでさらに自分を否定すると──
“行動すること”さえ怖くなってしまうんだ。
自己肯定感って、
「できない時こそ、否定せずにいられるか」が問われる場所。
たとえば、
今日はうまくいかなかった。だけど、がんばってた自分は、ちゃんと見てたよ。
って、自分に言えるかどうか。
それだけで、次の一歩の軽さが、ぜんぜん違ってくる。
自己肯定感が低いと起こること
自己肯定感が低い状態って、
ただ「自信がない」ってことじゃない。
それはもっと根深く、
**「何をしても、自分は足りない気がする」**という感覚。
まるで、
心に穴が空いているような日々だ。
そのまま放っておくと、ぼくらの行動や選択にも影響してしまう。
ここでは、実際に起こりやすいことを、ふたつ紹介するね。
挑戦が怖くなる
新しいことに挑戦するには、
「失敗しても大丈夫」という前提が必要なんだ。
でも、自己肯定感が低いと、
ちょっとの失敗ですぐに「自分には無理だ」と決めつけてしまう。
- ミスした=自分がダメ
- うまくいかない=人間として失格
そんな極端な思考にハマって、
怖くて一歩が出せなくなる。
本当は、失敗って“経験値”なのに、
その価値すら感じられなくなるんだ。
人の目に振り回されやすくなる
自己肯定感がぐらついていると、
「自分で自分を認める力」が弱まってしまう。
するとどうなるか──
“誰かに認められないと安心できない”状態になる。
- いいねが少ない=価値がない
- 友達に誘われなかった=嫌われてる
- 褒められない=頑張ってる意味がない
他人の評価で、気持ちが上下しやすくなって、
自分の基準がどんどん薄れていってしまう。
その結果、自分らしく生きることすら、難しくなる。
でもね──
その感覚は、訓練で少しずつ変えられる。
ぼくがそうだったから。
ぼくが変われた“小さなきっかけ”
「自己肯定感を高めたい」って思ったとき、
ぼくは最初、何か劇的な変化が必要だと思ってた。
- 毎日早起きする
- 新しいスキルを身につける
- 成果を出す
でも──
そんなふうに頑張っても、
心の中は空っぽのままだった。
「変われた」って感じられたのは、
ほんの些細なことだったんだ。
ある日の夜、何もできなかった自分に、
ふとこう言ってみた。

ブレイブ(Brave)
「今日も、生きてただけでえらいよ」
たったそれだけの言葉なのに、
胸がじんわりして、
涙が出そうになったのを覚えてる。
ああ、自分は、
ずっとずっと、認めてほしかったんだって気づいた。
自分で自分を抱きしめるように、
そっと「大丈夫」と言ってあげること。
それが、ぼくの自己肯定感のはじまりだった。
変わるって、
遠くに飛ぶことじゃなくて──
一歩だけ、内側に近づくことだったんだ。
肯定感は、“積み上げ型”で育てる
自己肯定感って、
一夜で変わるものじゃない。
SNSでバズった投稿をしても、
誰かに褒められても、
一瞬は気分が上がるけど──
それだけじゃ、心の奥には届かない。
ほんとうに効くのは、
“小さな積み重ね”によって育てる自己肯定感なんだ。
「ちゃんと寝た」「今日も来れた」でもいい
ある日、ぼくは日記にこう書いてみた。
「今日は朝ちゃんと起きられた」
「寝る前にストレッチできた」
「誰かと目を合わせて話せた」
それだけで、
**「あ、自分ってちょっといいかも」**って思えた。
完璧じゃなくていい。
特別なことじゃなくていい。

ブレイブ(Brave)
「今日も、ここまで来れた」
「朝ごはん食べられた」
「出かける準備をした」
そんなふうに、“当たり前を認める”ことが、自信の種になる。
ぼくらは、
“できなかったこと”には敏感なのに、
“できたこと”には驚くほど鈍感だ。
だからこそ、意識して「できた自分」に光をあててあげよう。
それが、積み上げ型の自己肯定感の第一歩なんだ。
自己肯定感が高い人の共通点
「自己肯定感が高い人」って、
どんなイメージがあるだろう?
- 常にポジティブ?
- 自分を押し出すタイプ?
- 成功してる人?
……そんな派手な印象とは少し違っていて、
実際にぼくが出会った「自己肯定感の高い人」たちは、
もっと静かで、落ち着いた強さを持っていた。
共通していたのは、こんな特徴たち──
自分の“気持ち”をちゃんと把握してる
「いま、疲れてるな」
「これはちょっと苦手かも」
「これをすると気分がよくなる」
そんなふうに、感情を否定せずに観察できる人は、
他人に振り回されにくくなる。
だから、無理にがんばりすぎることもなく、
自然体でいられる。
比較よりも“軸”で選ぶ習慣がある
他人と比べて生きている人は、
どうしても外の評価に心を乱されやすい。
だけど──
自己肯定感が高い人は、
「これは自分にとってどうか」で判断している。
- 自分が心地いい選択はどれか
- 自分が納得できる行動はどれか
そんなふうに、自分の「内側の軸」で選びとっていく。
だから、他人の言葉や流行に惑わされず、
自分のペースで安心して生きていける。
これが、「自己肯定感がある人」の静かな共通点なんだ。
まとめ|自分を肯定する力は、“結果”じゃなく“選択”だ
自己肯定感って、
なにかが「できるようになったとき」に
生まれるものだと思っていた。
でも──
ほんとうは違った。
それは、もっと静かで、
もっと手の届くところにある。

ブレイブ(Brave)
「今日も来れたね」
「うまくいかなくても、ぼくはぼく」
「大丈夫、ちゃんと歩いてるよ」
そんなふうに、“自分を信じる選択”を重ねていくこと。
それこそが、自己肯定感を育てる道だったんだ。
人と比べなくていい。
理想に追いつかなくてもいい。
ぼくらは、
「今この瞬間の自分」にも、
小さな光を見つけることができる。
そしてその光は、
これからの自分を、そっと照らしてくれる。
変わりたいと思った日から、
もう変化は始まってる。
ぼくもきみも、
きっと、だいじょうぶ。