「ここに来てくれて、ありがとう。
この記事は、“自分のことを好きになれなかったきみ”にも届くように書いたんだ」
鏡を見て、「また嫌いになった」って思った日があった。
性格が空回りして、「やっぱり自分ってダメだ」って落ち込んだ夜もあった。
「なんで自分は、こうなんだろう」
そんなふうに思い詰めては、誰にも言えなくて、
ただ、ひとりでコンプレックスを抱え続けていた。
でも、あのときのぼくに、今ならこう言える。
“好きになれなくても、向き合うことはできる”って。
この記事では、
外見や性格にコンプレックスを感じてきたきみに向けて、
「否定しない練習」から始めるやさしい歩き方を、
ぼく自身の体験をまじえて語っていくよ。
目次
コンプレックスは、気づいた日から始まる
コンプレックスって、突然生まれるものじゃない。
多くの場合、ある日ふと気づいた瞬間から始まる。
たとえば、友達と比べてみたとき。
「あの子は上手に話せるのに、ぼくは…」
「見た目があの人のほうがいい…」
最初は“誰かとの比較”がきっかけで、
自分に対する否定の感覚が芽生える。
最初は「誰かとの比較」だった
小学校、中学校、SNSの投稿──
他人の笑顔、成功、体型、話し方。
それを見たときに、「自分は負けてる」「自分はダメだ」と思う瞬間が、
コンプレックスの原点になってしまうんだ。
でも覚えておいてほしい。
それは、あくまで一瞬の判断に過ぎない。
他人と比べることは、人間の自然な感覚であって、
その比較がすべてを決めるわけじゃない。
ぼくも、ずっと自分の見た目や性格にコンプレックスを持っていた。
でも、それに気づいたとき、同時に思ったんだ。
「これに向き合えば、少しずつ自由になれるかもしれない」って。
“直す”より“受け止める”ほうが難しい
コンプレックスに気づくと、最初に浮かぶのは
「どうやって直そう?」っていう考えかもしれない。
整形すればいいのかな。
キャラを作って振る舞えばいいのかな。
筋トレすれば、自信を持てるのかな。
もちろん、変える努力は悪くない。
でも──直そうとするほど、心が苦しくなることがある。
なぜなら「直す」っていう言葉の裏には、
“今の自分はダメだ”って前提が隠れているからだ。
ぼくも、「直さなきゃ」と思って動いたことがある。
でも、少しうまくいっても、
「まだ足りない」「完璧じゃない」と自分を責め続けてしまった。
そうして、心はどんどん疲れていった。
ほんとうに難しいのは、
**「今の自分を、そのまま受け止めること」**なんだ。
欠点があるままでも、
完璧じゃなくても、
「これがぼくなんだ」って、まず認めてあげること。
それができたとき、
コンプレックスは“消える”んじゃなくて、“弱まる”。
きみを縛る力が、少しずつ小さくなっていく。
他人の「好き」は、自分にない視点をくれる
コンプレックスって、自分の中では大きな“欠点”に見えてしまう。
でも、不思議なことに──他人から見たら「魅力」になっていることが多い。
褒められて戸惑ったこと、ある?
「その声、落ち着くね」
「その目つき、やさしそうで好きだよ」
「その不器用なところが、なんか安心する」
そんなふうに言われたとき、
「え? ここが? ぼくはずっと嫌だったのに」って戸惑ったこと、ないかな?
ぼくも、何度かあった。
自分が「弱点」だと思っていた部分を、
他の人は「安心する」とか「いいね」と言ってくれた。
そのとき初めて、気づいたんだ。
自分の見方と、他人の見方はまったく違うってことに。
きみがコンプレックスだと思っているところも、
きっと誰かにとっては「魅力」なんだ。
「好き」って言われた瞬間を、どうか受け入れてほしい。
それは、きみの自己否定をやわらげる
新しい鏡になるから。
「自分を大事にする」って、まずは否定を止めること
「自分をもっと大事にしてね」
そんな言葉、聞いたことがあると思う。
でも──
「どうやって?」って、すごく難しくない?
“好きになる”って、急にはできない。
“ポジティブになる”って、無理やり言い聞かせても、心はついてこない。
ぼくは、「自分を大事にする」っていうのは、
まず“否定を止める”ことから始まるんだと思ってる。
「なんでこんな顔なんだろう」
「またうまく話せなかった」
「どうして、こんな性格なんだろう」
そうやって、自分のことを否定する言葉って、
知らないうちに、毎日、何回も自分に向けてるんだ。
だからこそ、まずはそこに気づいてあげる。
たとえば、こんなふうに置き換えてみる。
- 「ダメだった」→「まだ途中だった」
- 「やっぱり変われない」→「まだ変わる途中なんだ」
- 「こんな自分、嫌いだ」→「今はちょっと疲れてるだけかも」
否定の言葉が湧いてきたとき、
それに気づいて、やさしく言い直してあげる。
それだけで、心の温度が少し変わる。
自分を大事にするって、
“好きになる努力”じゃなくて、“責める回数を減らすこと”から始まる。
ぼくは、それを知ってから、
ちょっとずつ、自分に呼吸させてあげられるようになった。
ぼくのコンプレックスも、完全には消えてないけど
こうして記事を書いているぼくも、
実は──いまでもコンプレックスを抱えてる。
外見も、性格も、言葉の選び方すら。
「ここがダメかも」って思う瞬間は、ふいにやってくる。
でもね、それでも大丈夫だって、いまは思えてるんだ。
昔は、コンプレックスがある自分を、
“完成していない”とか、“劣っている”って思ってた。
でも今はちがう。
「まだ途上の自分」と一緒に、毎日を歩いてる感じ。
完璧じゃなくても、進める。
コンプレックスが残っていても、笑える。
全部を“克服”するんじゃなくて、“抱えながら生きていく”っていう選び方もある。
そして何より、
「ぼくにも、そんなふうに悩んでいた日があったよ」って伝えられる自分になれたことが、
ぼくのなかでは、小さな誇りになってる。
きみも、きみのままでいい。
いまのきみの中にある“まだ好きになれない部分”が、
いつか誰かの安心になる日が、きっとくるから。
まとめ|それでも、きみはもう“鏡から逃げてない”
「なんでこんな自分なんだろう」
そう思って、鏡を避けた日があったかもしれない。
写真に写るのが怖かったり、話す自分の声が嫌だったり──
自分という存在を、まるごと否定したくなる瞬間があったかもしれない。
でも、この記事をここまで読んでくれた“いまのきみ”は、
もう鏡から完全には逃げていない。
たとえまだ、自信が持てなくても。
たとえ、完全には受け入れられなくても。
きみはいま、「向き合ってみよう」としてくれている。
それって、とてもすごいことなんだ。
なかったことにしようとするほうが、ずっと簡単だから。
なのに、きみは歩こうとしてる。
それだけで、もうじゅうぶんに“前を向いてる”んだよ。
ぼくのコンプレックスは、完全には消えてない。
でも、ぼくの人生の中にあってもいいものだって思えるようになった。
そして、きみにもそう思える日がくると信じてる。

ブレイブ(Brave)
「好きになれない」って、何回思っただろう。
それでも、“向き合おうと思えた日”があるなら、
もうきみは、自分に負けてなんかいないよ。