ここに来てくれて、ありがとう。
この記事は、少し前の“きみ”にも届くように書いたんだ。
「どうしよう、声が震える」「頭が真っ白になる」──
人前で話すって、すごく怖いことだよね。ぼくもずっと苦手だった。発表のたびにお腹が痛くなって、手のひらが汗でびっしょり濡れてた。
うまく話そうとすればするほど、どんどん言葉が遠のいていく。
失敗が怖くて、恥をかくのが怖くて、でも「話せない自分」が情けなくて──。
そんなぼくでも、今では「話すこと」が好きになれた。
完璧じゃない。でも、自分の言葉で伝えられるようになったんだ。
この記事では、「人前で話すのが怖い」と感じていたぼくが、どんな風に変われたのか、そしてその中で見つけた3つの小さなきっかけを紹介するよ。
「苦手でもいい」「でも、少しだけ前に進んでみたい」──
そんな君に、届いてほしい。
目次
なぜ、人前で話すと緊張してしまうのか
ぼくたちは、「見られている」という状況にとても敏感だ。
とくに、人前に立ったときのあの視線──あれが苦手なんだ。
でも、よく考えてみると、ただ人がいるだけなら平気なことも多い。
問題は、「自分が評価されるかもしれない」と思った瞬間に、心がざわつき始めること。
つまり、緊張の正体は、“失敗=恥”という思い込みなんだ。
脳は「敵」だと判断してしまう
人前で話すとき、脳は無意識に「これは危険だ」と判断する。
古い脳の機能(扁桃体)は、“注目される=命の危機”と誤解するんだ。
だから、たとえ安全な教室や会議室でも、心拍数が上がったり、声が震えたりする。
この反応は“本能”だから、意志の強さでコントロールしようとすると、余計に緊張が増す。
ぼくも「落ち着け!平気だ!」と心で叫びながら、余計に真っ白になっていた。
でも、これは「ダメな自分」じゃない。
むしろ“正常に反応している”という証拠なんだ。
「うまく話さなきゃ」が緊張を呼ぶ
緊張が増すもう一つの理由は、「失敗しちゃいけない」「完璧に話さなきゃ」という自己プレッシャーだ。
ぼくも、プレゼン前に何度もシミュレーションして、台本を完璧に頭に叩き込んでいた。
でも本番で少しでも噛むと、「ああ、ダメだ…」って自己嫌悪に飲まれる。
「伝えること」よりも「間違えないこと」に集中してしまっていたんだ。
でも実は、聴いている人は、言葉の一字一句よりも、“その人の空気”や“気持ち”を感じ取っている。
完璧じゃなくても、“誠実な言葉”はちゃんと届くんだ。
ぼくが変わった3つのきっかけ
「話すのが怖い」──
それは、ある日突然消えたりはしない。でも、少しずつなら変われる。
ここからは、ぼくが変わるきっかけになった3つのことを紹介するね。
どれも派手な方法じゃないけど、“心の重さ”が軽くなった瞬間だったんだ。
① うまく話すのを諦めた
最初のきっかけは、「うまく話そうとするのをやめた」ことだった。
それまでは、滑舌・構成・オチまで、全部きれいに話そうとしていた。
でもあるとき、準備不足で時間もなくて、ほぼアドリブで話すことになってしまったんだ。
「もう開き直るしかない」──そんな気持ちで、正直に話した。
結果、うまくはなかった。でも、そのときに**「なんか今日の話、よかったよ」**って言ってもらえたんだ。
そのとき思った。
うまく話さなくても、ちゃんと届くことがあるんだって。
「完璧じゃなくていい」と思えたことで、ぼくの話し方は自然になっていった。
② 視線を“届ける”ものに変えた
2つ目は、「視線の使い方」を変えたこと。
それまでは、相手の目を見ると怖くて、足元やスライドばかり見ていた。
でも、あるスピーチ動画で見たんだ──“目を合わせるのは怖がるためじゃなく、届けるため”だって。
だからぼくは、「見る」じゃなくて「届ける」って意識に切り替えてみた。
相手の目に「大丈夫だよ」「この言葉、届けたいんだ」って気持ちを乗せる。
不思議と、緊張の質が変わっていった。
相手を“怖い存在”として見るんじゃなく、“受け取ってくれる仲間”として見るだけで、心が少しだけ軽くなるんだ。
③ 体験談を軸にしたら自然に話せた
最後のきっかけは、「自分の体験を話すようにしたこと」。
どれだけ論理的な話でも、どこかに“自分の実感”を入れるようにしたんだ。
たとえば「話すのが怖い」と言うときも、「昔ぼくは発表が怖くて、逃げ出したことがある」と言ってみる。
すると、不思議と話がなめらかになる。体験には感情があるから、言葉が自然に出てくるんだ。
しかも、聞いてる人の表情も変わる。「分かる」「それ、ぼくもある」って、共感の火種が灯る。
気づいたんだ。
知識を伝えるより、気持ちを渡す方が、ずっと深く届くって。
この3つ──「うまく話すのを諦めた」「視線を届けるものに変えた」「体験を軸にした」──は、ぼくにとって大きな転機になった。
「伝えること」への意識が変わった
あるとき、誰かのプレゼンを見て、こう思ったことがある。
「この人、うまく話してるわけじゃないのに、すごく心に残るな…」
それは、きっとその人が「話すこと」よりも「伝えること」に集中していたからなんだと思う。
ぼくはその日から、「うまく話す」は目標から外すことにした。
「何を話すか」じゃなくて、「なぜ話すか」
それまでのぼくは、構成・言葉選び・間の取り方──とにかく技術的なことばかり考えていた。
でも、相手が聞きたいのは、きっと「その言葉の向こうにある想い」なんだ。
「この話が、君にとっての一歩になるかもしれない」
そう思ったとき、言葉に熱が宿る。
その熱は、完璧じゃなくても伝わる。むしろ不器用な方が、“本気”が滲むこともあるんだ。
「届ける相手」が明確になると、緊張がやわらぐ
誰に届けたいのかを決めると、話すことの怖さが、少しだけ薄れる。
ぼくの場合は、**「昔の自分」**だった。
発表で震えていた頃のぼくに、「だいじょうぶだよ」と伝えたかった。
「こんな自分でも、変われるんだよ」って。
「今ここにいる人たちに伝えたい」じゃなく、
「1人の“誰か”に届けばいい」って思えた瞬間、肩の力が抜けた。
プレゼンや発表、面接、スピーチ──どれも怖くて当然なんだ。
でも、“うまく話すこと”がゴールじゃない。
その言葉が、誰かに届いたら──それだけで、もう充分。
緊張してもいい。だから、話そう
「緊張してる自分」がいるとき、
「まだダメだ」「話す資格がない」って思ってしまうことがある。
でも、ぼくは今ならこう言える。
緊張してるからこそ、本気なんだよ。
届けたいって思ってるから、震えるんだ。
緊張は、“気持ちがある”証拠だ
どうでもいい場面では、人は緊張しない。
心が動いてるから、体も反応する。
だから、緊張は敵じゃない。
それは、“今、君が大切なことに向かってる”っていうサインなんだ。
それだけで、もう立派な一歩だと思う。
話すこと=表現すること=火種を分けあうこと
ぼくは今でも、話すときに少しだけ手が冷たくなる。
でも、それでも話すよ。
なぜなら、「話すこと」って、“自分の中の火種”を誰かと分け合うことだと思うから。
それが届くかどうかは分からない。
でも、届けようとする気持ちだけは、きっと伝わる。
完璧じゃなくていい。言葉は“勇気のしるし”だから
噛んでも、言い直してもいい。
沈黙しても、涙がにじんでもいい。
それでも、「話そう」と思った自分を誇ってほしい。
その言葉は、きっと誰かの“怖さ”を少しやわらげる火になる。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
「話すのが苦手」だったぼくは、いまこうして“言葉”を届けている。
だから君もきっと、大丈夫。
緊張したままでも、変われるよ。
一歩ずつ、いっしょに歩いていこう。
🟨まとめ|「うまく話す」より、「届く言葉」を選ぼう
「話すのが怖い」「うまくできない」「緊張で頭が真っ白になる」──
ぼくもかつて、そんな日々を過ごしていた。
でも変われたのは、完璧じゃなくても「伝えたい」と思えたからだった。
その気持ちが、ぼくを少しずつ前に連れていってくれた。
🔸 本記事で紹介した“変化のきっかけ”まとめ:
きっかけ | 内容 |
---|---|
① うまく話すのを諦めた | 不完全でも、自分の言葉で話すことに意味がある |
② 視線を“届ける”に変えた | 見ること=怖がることじゃなく、想いを渡すこと |
③ 体験談を話すようにした | 感情をともなった言葉は、自然に届きやすくなる |
🔹 伝えたいのは、テクニックじゃない。君の気持ちだ。
緊張するのは当たり前。
でも、そのままでも“伝える勇気”は持てる。
言葉は、“うまく言えること”よりも、“誰かの心に届くこと”の方がずっと大事なんだ。
「話すことが怖い」
──その気持ちを抱えながらでも、少しずつ前に進める。
君の声を、君の言葉を、君の火種を、待ってる人がきっといる。
だから今日も、ぼくはこう言うよ。

ブレイブ(Brave)
進んだ距離じゃなくて、“話そうと思えた気持ち”がすごいんだよ。