「誰にも迷惑をかけちゃいけない」
「自分のことは自分でなんとかしなきゃ」
──そんなふうに思って、ずっとひとりで抱えてきたもの、あるよね。
ぼくもそうだった。
「助けて」って言えなかった。
「大丈夫?」と聞かれても、笑ってごまかすことしかできなかった。
だけど、本当は──
“誰にも頼れない”んじゃなくて、頼る方法を知らなかっただけだった。
この記事では、そんなぼくが
「頼るって、弱さじゃなくて“つながること”なんだ」って気づいていった日々を、
少しずつ言葉にして届けていくね。
目次
一人で頑張るって、かっこいいようで苦しい
誰にも頼らずに、全部自分でこなす。
そういう姿を見て、「すごいね」「えらいね」って言ってもらえたことがある。
ぼくも、それが“強さ”だと思ってた。
でもね──
どこかでいつも、すごく、さみしかった。
泣きたくなったときも、ぐっとこらえて
「ひとりでできる」を続けるのって、かっこいいようで、ほんとはものすごく苦しい。
だって、人ってもともと「助け合う」ようにできてる。
全部を自分ひとりで抱え続けるようには、つくられてないんだ。
「強さ」じゃなくて「癖」だったかもしれない
「頼らない」は、意思じゃなくてクセになっていた。
- 人に迷惑をかけたくない
- 頼んで断られるのが怖い
- 「助けて」が言えないまま大人になった
そんな思いが積み重なって、
「ひとりでやるしかない」って信じてしまった。
でもそれ、本当に“強い”って言えるのかな?
いま、少しずつ分かってきた。
「頼れない強さ」よりも、
「頼っていいって思える安心」のほうが、ずっとあたたかいんだ。
「迷惑かけたくない」が、自分を縛ってた
「人に頼るのが苦手」と感じる人の中には、
「迷惑をかけたくない」という気持ちを強く持っている人が多い。
それは、優しさでもある。
ちゃんと相手のことを思ってる証拠でもある。
でもその優しさが、自分をひとりきりにしてしまうこともあるんだ。
✅ こんなふうに思ってない?
- 「相談したら、相手の時間を奪っちゃうかも」
- 「こんなことで頼るのは甘えだよね」
- 「向こうもきっと忙しいし…」
そのたびに、自分のなかで
「言いたいこと」「助けてほしいこと」が消えていく。
ぼくもそうだった。
何かを抱えていても、
「大丈夫です」って笑ってごまかすクセが抜けなくて、
気づいたら、**頼れる相手が“いない”んじゃなくて、“いないことにしてた”**んだ。
迷惑をかけたくない気持ち自体は、悪いものじゃない。
でも、それを理由にして、自分を孤独に閉じ込めてしまうなら、
その“優しさ”は、どこかで“痛み”に変わってしまう。
ちょっとだけ、自分にも優しくなっていい。
きみが誰かの力になってきたように、
きみのことも、誰かが助けたいって思ってる。
誰かに助けられても、自分の価値は減らない
「助けてもらったら、ダメな人間だと思われるんじゃないか」
「一人でできないなんて、情けないんじゃないか」
──そんなふうに、思ってた時期がぼくにもあった。
でもそれって、本当かな?
人に助けられるってことは、
自分の力が足りない証明じゃなくて、
“つながりがある証拠”なんだ。
✅「自立=孤立」じゃない
自立することと、なんでも一人でやることは違う。
- 誰かと支え合う
- 困ったときに頼る
- 必要なときに「助けて」と言える
それも立派な“生きる力”なんだよね。
たとえば──
火事のときに「自分で消すべきだから」と誰にも頼らずにいたら、
どうなると思う?
状況は悪化するだけだよね。
それと同じで、助けを求めるのは“危機回避”でもあり、“未来への選択”でもある。
助けられたって、
きみの価値は一ミリも減らない。
むしろ、そこから新しい信頼や関係が生まれていくこともある。
ぼくがそうだった。
助けてもらってはじめて、
「ぼくは“頼られる”ことばかり考えて、“頼る”ことを置き去りにしてた」って気づけた。
だから、今ここで伝えたい。

ブレイブ(Brave)
助けを求めたきみを、弱いなんて思う人はきっといない。
それは、“大事に生きようとした証”なんだ。
“頼る”って、弱さじゃなくて「接続」
「頼る」って、どこか**“負け”や“甘え”のように感じてしまう言葉**かもしれない。
でも、ぼくは最近、その意味が変わってきた気がする。
頼るって──
“つながる”ってことなんだ。
たとえばスマホが充電切れのとき、
コンセントに繋いで電気を「借りる」ことでまた動き出せる。
それって別に、スマホがダメになったわけじゃない。
必要なエネルギーを、ちゃんと繋いで受け取っただけなんだ。
✅「頼る」は“エネルギーの循環”
人も同じ。
孤立したままじゃ、どこかでエネルギーが尽きてしまう。
でも誰かと接続できたら──
- 温度が伝わる
- 声が届く
- 自分も、相手も、生きやすくなる
「ひとりじゃなくていい」っていう感覚は、
心の中にあたたかい灯りをともす。
かつてのぼくは、頼ることを“減点”だと思ってた。
でもいまは、それを**“つながりの起点”**だと思ってる。
自分の弱さを見せられる相手がいるって、
本当は、すごく強いことなんだよね。

ブレイブ(Brave)
頼るとは、誰かの迷惑になることじゃない。
頼るとは、自分と誰かが“接続”し直すことなんだ。
ブレイブが初めて“お願い”した日
ぼくは昔、「誰かにお願いする」ことができなかった。
助けてほしい気持ちはあるのに、
言葉にならなかった。
だって怖かったから。
断られたらどうしよう。
重いと思われたらどうしよう。
変に気を使わせてしまったら──。
そうやって考えすぎて、何も言えなくなってた。
ある日、とても落ち込んでいたとき、
ふと、誰かのSNSの投稿が目に入った。
「つらいときは、つらいって言っていい」
その一文に、心が少しだけ、ほどけたんだ。
ちょっとだけ、誰かの声に手を伸ばしてみた
ぼくはその投稿に、「いいね」をつけた。
ただそれだけだった。
でも、投稿主がぼくのプロフィールを見に来て、
「大丈夫?」って、DMをくれた。
──ああ、「いいね」でも、つながれることってあるんだ。
それが、ぼくにとっての“初めてのお願い”だった。
「助けて」って言葉にしなくてもいい。
「つらい」「しんどい」「誰かに聞いてほしい」って、
どんな形でも、きみが誰かに“少し手を伸ばす”だけで、
その瞬間から世界は変わりはじめる。
頼ることは、声を出すことだけじゃない。
反応すること。反応を受け取ること。
そうやって、人と人はつながっていく。
まとめ|「ひとりで頑張らなくてもいい」が届くように
「自分でなんとかしなきゃ」
「頼るのはダメなこと」
「誰にも迷惑かけたくない」
──そう思い込んでいた過去のぼくに、
いまのぼくが伝えられるとしたら、こう言う。

ブレイブ(Brave)
「ひとりで頑張らなくても、いいんだよ」
頼ってもいい。
つながっていい。
そう思えることこそが、ほんとうの強さだから。
誰にも頼れなかったのは、
きみが弱いからじゃない。
やさしいからだ。
ちゃんと人を思える、まっすぐな心があったからこそだ。
でもね。
そのやさしさを、きみ自身にも向けてあげてほしい。
心がつかれたとき、
「助けて」と言えること。
反応に気づき、「ありがとう」と受け取ること。
それは全部、“誰かと生きる”ということの、美しいかたち。
ぼくは、
もう「全部ひとりで」じゃなくていいんだって、気づけた。
きみにも、
その安心が少しずつ届きますように。
🕊️今日も、きみが自分を責めないでいられる一日になりますように。
「一人で頑張るしかない」って思っていた、その記憶ごと、やさしく抱きしめながら。