「なんで私が、こんな気持ちになってるんだろう」
そう思ったとき、ぼくはよく“誰の感情か”を見直すようにしてる。
ときどき、自分が抱えてるその気持ちは、
本当は“誰かからもらった感情”かもしれない。
誰かの怒りや不安、焦りや悲しみ──
それを受け取りすぎて、自分の中で“自分のもの”みたいに抱えてしまう。
でも感情には、それぞれ“居場所”が必要なんだ。
今回は、そんな「感情の置き場」をめぐる旅を、一緒にしてみよう。
目次
他人の感情を“引き取ってしまう”ことがある
ぼくは、人の空気を読みすぎてしまうタイプだ。
誰かが不機嫌だと、「自分が悪いのかな」と感じてしまったり、
誰かが悲しんでいると、自分まで心が重くなったりする。
そうやって、他人の感情が自分の中に入り込むことがある。
とくに、共感力が高い人ほど、この“受信過多”が起きやすい。
でも、それは悪いことじゃない。
ただ、その受け取ったものを、どう扱うかが大事なんだ。
感情に敏感な人ほど、感情の「整理力」も必要になる。
感情を「しまいこむ」と、苦しくなる
「相手の気持ちを考えすぎて疲れた」
「なんとなくモヤモヤが残る」
そんなとき、もしかしたら、自分以外の感情が心に溜まっているのかもしれない。
感情を抱えたまま“しまいこむ”と、
どこにも行き場がないまま、どんどん心の奥に沈んでいく。
それが積もると、自分の感情と区別がつかなくなって、
「本当は自分がどうしたいのか」がわからなくなってしまう。
だからこそ、感情に“出口”をつくることが必要なんだ。
言葉にする、書いてみる、誰かに聴いてもらう──
それだけで、感情は少しずつ外の世界へと還元されていく。
「これは誰の感情?」と問いかける習慣を
ぼくがよくやっているのは、こういう問いかけ。
「この悲しみ、ほんとうに自分のもの?」
「この怒り、もしかして誰かの空気を受け取ってるだけ?」
そうやって、“感情の持ち主”を見極めること。
もちろん、完全に切り分けることはできないけど、
この問いを持つだけで、心の中に区別の棚ができてくる。
そして、そこに優しく置いてあげると、
不思議と心の重さが軽くなることがあるんだ。
自分に問いを投げかけることは、
心の整理箱をつくることでもある。
受け取った感情は、「返して」もいい
誰かの感情を抱えてしまったとき、
それを“自分で処理しなきゃ”と思ってしまいがちだけど──
ぼくは、そっと「お返しする」っていう選択肢もあっていいと思ってる。
「この気持ちはあの人のもの。だから、私はそれをそっと置いておく」
そうやって、心の中で“境界線”を引いてあげること。
それは冷たさじゃなくて、自分を守るためのやさしさだ。
共感は受け取るだけじゃなく、手放すこともできるんだ。
“持ち帰らない共感”は、じゅうぶんあたたかい。
おわりに:感情に、優しい置き場所を
人はみんな、何かを感じながら生きている。
でも、ときどきその感情が、自分のものか、誰かのものか、わからなくなる。
そんなときこそ、
「これは誰の感情?」と問いながら、
ひとつずつ優しく並べてみよう。
悲しみも、不安も、焦りも──
ただ抱えるだけじゃなくて、置いていい場所がある。
感情は、しまいこむものじゃなくて、
“ほどいて、そっと置いていくもの”なんだと思う。
そして、やさしく置かれた感情たちは、
やがて静かに、心の風景を整えてくれる。
それが「受け取る力」と「手放す知恵」が調和した、
やさしい共感のかたちなんだ。
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