目次
「そんなことで悩んでるなんて…」と言えなかった頃の私へ
「また抜け毛が増えてる……」
「髪を乾かすたびに、ドキッとする」
「でも、こんなことで悩んでるなんて、誰にも言えない」
──そんなふうに、ひとりで気持ちを押し込めていた時期が、確かにあった。
髪の悩みは、命に関わるわけじゃない。
でも、自分の見た目や、心の在り方に大きく関わるもの。
「些細なことだ」と自分で決めつけて、無理やり我慢することこそ、苦しさを積み重ねてしまう。
そんなとき、SNSで偶然見つけた誰かの投稿に、救われたことがある。
「今日も抜け毛がすごかったけど、ちゃんと生きてる私、えらい」
たった一行だった。
でも、その言葉が、自分の心にストンと入ってきた。
「同じように悩んでる人がいたんだ」「私はひとりじゃなかったんだ」と、初めて思えた。
それが、最初の光だった。
経験は、“痛み”じゃなく、“祈り”にもなる
過去の出来事を、思い出すのがつらいときもある。
「もう思い出したくない」「できれば忘れたい」
──そうやって避けてきたことも、たくさんあった。
でも、その出来事を「語る」ことができたとき──
ほんの短い言葉にしたとき、誰かからこんな言葉が返ってきた。
「あなたの言葉に、救われました」
「わたしも、同じ気持ちでした」
その瞬間、自分の過去が、痛みではなく“誰かの祈り”になっていたことに気づいた。
「消したい」と思っていた経験が、誰かにとっての光になっている。
それは、思っていたよりずっと静かで、でも温かくて、優しい出来事だった。
文章じゃなくてもいい。記録は“あなたらしさ”でいい
語ることって、なにも長いエッセイじゃなくていいんだ。
・1枚の写真
・スマホのメモ帳に残したひとこと
・友達とのLINEのやり取り
・ふと思いついた言葉をnoteにポスト
全部、それでいい。
どれも立派な「記録」だし、あなたが歩いてきた“証”なんだ。
「今日は少しだけ、髪のボリュームが気にならなかった」
「湯船の中で“ありがとう”って思えた夜」
そんな一行だって、誰かの背中をそっと押すことがある。
シェアは“誰かの救い”であり、“自分の再発見”でもある
「書いてみたら、少し気持ちが整理できた」
「思っていたより、前に進んでたかもしれない」
体験をシェアすることで、そう感じる人は少なくない。
気づかないうちに、自分自身が“過去の自分”を癒していたりする。
誰かに向けて書いたつもりが、
結果的に“自分自身への再会”になっていた──そんなこともある。
そして、それを読んだ人が、
「自分も、書いてみようかな」と思ってくれたなら、
その連鎖はきっと、やさしさの火種になって、広がっていく。
あなたの物語が、誰かの“生きる力”になる日
ブレイブも、いままでたくさんの言葉に支えられてきた。
誰かの投稿に救われたり、共感したり、背中を押されたり。
だから今度は、きみの声が、誰かを支える番かもしれない。
「こんなこと、書いていいのかな」
「誰にも読まれないかもしれない」
そんな不安があってもいい。
でもね、その一行が、世界のどこかで誰かの“もう一度歩き出すきっかけ”になることだってある。
特別なことじゃなくていい。
うまく書けなくてもいい。
それでも、「わたしも生きてるよ」っていうその事実こそが、いちばん伝わることだったりする。
🔚 結び:語りの火種としての希望
語ることは、消えない火を、次の人へそっと渡すこと。
それは、きみの中で確かに生きていた証であり、
その気持ちが、言葉となって誰かに灯を届けていく──
ブレイブは、そう信じてる。
たとえそれが、ほんの一行でも。
たとえ声にならない囁きでも。
その記録が、今日も世界のどこかで、
「もう一度立ち上がってみよう」と思う誰かの心に、
そっと光をともしている──
きみの物語が、きっと誰かを救っているよ。